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著書【宝石の裏側 vol.12】

宝石の裏側-第12話- 【作り手の理論と貧困さ】 

作り手の理論と貧困さ

 

宝石の裏側-第12話- 【作り手の理論と貧困さ】

 

 ジュエリーは奢侈な贅沢品ではありません。ジュエリーは現在においても過去においても人類が寒さや飢えをしのぐために必要としてきた生活必需品と同時的に存在してきた精神的な必需品なのであります。
 人類の文明発祥のどのような時代や地域にも、またいずれの民族にもジュエリーは存在したのです。それは階級や身分や血族をあらわし、婚姻の証であったり、魔よけや勝利の印となって存在しました。そして近代社会における個人の成立とともにジュエリーは極めて個人的で私的な所有物となってそれを所有する自分というものを表現しはじめたのです。

 時代や国境をこえて、また文明の違いをこえてジュエリーはそれを所有し使用している人の固有の息吹を感じさせるものです。もし人が自分の存在や意志を後の世代に遺したいとしたら、ジュエリーという形に自分を凝縮することが最も適切な方法です。人の身体につけるリングやペンダントなどのジュエリーで自分を後の世代に遺すことが出来ればこれ以上意味深い形見はないでしょう。そして人類はいずれの時代にもそのようにしてきたのです。

・・・つづく。

宝石の裏側 -Vol.12-
ジュエリーリフォームデザインスタジオ やまやくらぶ

 

 

 


 

STAGE -ステージ-

 

 店先にはいろいろな修理が持ち込まれます。切れたチェーンやパールのネックレス、メレーダイヤが外れて歯の抜けたようになったリングなどさまざまです。いずれの修理品もその持ち主の使い方が憶測できます。
 さらには丸いプラチナのリングが歪んだ台形のようになってしまったものもあれば、オパールやエメラルドが砕けてしまっているリングも多くあります。それらは細工上の不完全さによるものもありますが、ほとんどは使い方の不適切さによる修理が圧倒的多数です。

 柔らかい金やプラチナであるから使用頻度や使用強度をこえれば当然のこと壊れます。また壊れても修理が可能であるというのがこの地金の特色です。ところが宝石の方は割れたら終わりなのです。欠けたり割れたりした宝石を修復することはできません。

  ジュエリーにはそれぞれ使用するにふさわしいステージがあるのです。通勤時というステージ、職場というステージ、アフターファイブのステージがあり、ディナーパーティーやウェディングパーティーのステージがあります。これらのステージで使用するジュエリーは、そのステージが終わって帰宅すれば、指や身体からはずされ、宝石箱に収納されるものです。なぜこんな当然のことを書いているかというと、持ち込まれる修理品から憶測するに、ステージジュエリーの使い分けをしていなかったり、ステージジュエリーとフルタイムジュエリーの区別をしないで使用しているご婦人たちが極めて多いからであります。

 フルタイムで使用できるのは地金のリングぐらいのものです。他は全てステージが済めば指や身体からはずすものです。そうしないと金属疲労でたちまち歪んで破損につながってしまいます。靴や洋服を履いたまま、着たままで使い切ったら、たちまちにして型くずれすることは、良く知っているはずなのに、ことジュエリーに関してはつけ替えたり、はずして休ませたりするのを怠ってしまう人が多いのです。

・・・つづく。

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DESTRUCTION -破壊-

 

 ダイヤモンドやサファイヤやルビーは比較的硬くて割れにくいが、エメラルドやオパールなどは実に割れやすい石です。ところかまわず区別なしに、バイクに乗るときもゴルフの練習場でも、植木の手入れや庭の草むしりにも、つけっぱなし可能なジュエリーなど存在しません。
 人が手を握るときの握力は想像以上に強力です。リングをはめた状態で手を握ると、特に指の付根の所に力が集中します。したがって指輪をつけて物を持つ、例えばスーパーで買い物をした重い荷物を持ったりすると自分で気付かないうちにリングが変形してしまうのです。

  自転車やバイクに乗ってハンドルを握っているときには、強く握る力にくわえて、極度な振動が常時加えられます。この振動に耐えられるようなジュエリーなどありません。そのような常時の微動や激しい振動でも外れないような石留めの技術は存在しないのです。
 また、堅いといわれる宝石類もこの常時の振動には弱く、衝撃による結晶の破砕は避けられません。宝石の付いているリングでゴルフ練習をしたのでは、何百回という打球インパクトでたちまちにして宝石の結晶にひびが入ってしまいます。リングをつけてゴルフ練習をするなど、槌でリングを直接叩いているようなものです。

 このような場所でどうしてもつけたければ、マリッジリングかその類のものに限られるでしょう。プレーンな地金だけのリングを除けば、ほとんどのジュエリーはステージジュエリーです。それぞれに相応しいステージでジュエリーは使用されることが大事です。

・・・つづく。

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CASE A -出来事-

 

 65歳くらいの婦人。6年ほど前から私の店に立ち寄るようになりました。来店されると一通り見回して、『響くものがないねぇ』『動かされるものが無いなぁ』『感動するものが今回は見当たらないですねぇ』と言って帰って行くことが多かったです。
 彼女が今までに私の店から購入した物はアンティーク調のリングやネックレスなど、どれも私の店のオリジナルでしかも彼女の意見を取り入れたセミオーダーのものでした。彼女は仕事や趣味に多忙に動き回っているらしく、自宅に電話を入れても夜9時前にはほとんど帰ってこないことが多い女性。足の先から頭まで、つまり靴から帽子までがこだわりの装いできまっています。周りの人に、『今日は手を抜いているな』などとは決して思わせないように努めている女性です。自分のライフスタイルにあった装いのラインをつくり上げている人といえます。

  ある時、久しぶりに店にやってきて、商品のほとんどを見渡した後『なにかグッとくるものが無いねぇ』と一括しました。わたしも持ち札が無くなったので『Nさん、これでブローチを作ろうと思ってデザイン中でして、』と言って18ミリの変形真珠のルースをお見せしました。すると『あら、私ならハットピンにして使いたいわ』と言って自分の帽子のサイドにその大きな変形真珠をあててみせました。

 私自身、彼女のとっさの発想に心から感服させられました。『なるほど、Nさんは私たちが考えもしなかったようなイメージが出てくるんですね』と伝えると、即座に『言っときますけどね、自分が自分の装いに気を使わなくなったら、そのときは一貫の終わりよ』とのこと。この一言が今の彼女をつき動かしている原動力なのだと感じました。

・・・つづく。

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ACTIVATE-活性化-

 

 人が今まで無縁であったジュエリーに目覚めるときは、何か宗教的な覚醒でもあったかのような格段の差がその人に生じるものです。何が原因やきっかけとなってジュエリーを買い求め、つけるようになるかは、さまざまですがひとたびジュエリーを自分の自己表現として受け入れると、そのジュエリーによって現す自分というものにとてつもなく愛着を感ずるようになるのです。
 先のCase Aが物語っている重要なことのひとつは、装うということが如何に人の日常生活をポジティブにするかということであります。ポジティブな生き方がストレスの解消や病気の駆逐にいかに優れた効果を発揮するかは周知のことです。

 気持ちのよい音楽を聴いたり、好きなスポーツに興じたりするのと同じように、好きなジュエリーを身につける時にも人間の脳の視床下部ホルモンがほとばしり出て、健康な細胞を活性化することになるのです。

  特にジュエリーは他の生活雑貨や食べ物と違い、長い年月その意味やストーリーを発信し続けるものです。しかも身体につけて自分の存在を主張し続けるものであります。つまりジュエリーはそのフォルムに内包されている意味を恒久的に持続しながら、つける人の内面性を身体の延長上に顕在化させるのです。このようにして宝飾愛好家はジュエリーを装うことによって、身体中に細胞活性化ホルモンをみなぎらせることになります。
 人は誰も自分の容姿を裸でさらすことはありません。着たいものを着、つけたいものをつけるのであります。この心的欲求が装いへの衝動となり、装いへのこだわりとなるのです。そしてこのこだわりが個々人の存在の主張となって、ジュエリーというかたちに凝集してくるのです。

 服飾にしても宝飾にしても装うことは自分を演技させ、演出することであります。そのように演技し演出する場所が日本の生活で限られているのは、ステージとしてジュエリーをつける生活文化の実態が日本ではその程度だということであります。しかし装うことの貧困さは、単にジュエリーをつけていく場所が限られているという問題だけでなく、つけて楽しむことの快感さと、つけて充実することで自分を活性化してくれるジュエリーパワーの魅力に、未だ与ってない人が多いということでもあります。
 ジュエリーをつけるのは自分の外観を装飾するのではなく、自分の内面の心象を表現することであると知れば、ジュエリーを装うことでもっともっと人生を堪能できるようになるはずです。

・・・つづく。

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 EXAMINATION A -考察-

 

 Case Aの婦人が教示しているもうひとつのことは、ジュエリーというものはつかう人のニーズから制作されると、実に感動的な作品に出来上がるものであるということです。しかし一般に市場に出回っている種々多様のほとんどのジュエリーはメーカー側の営業理念から制作されているものです。メーカーの理論というのは利潤の追求であり、その確保であります。

  企画アイテムを一定量制作し販売するのにどれだけのコストがかかり、商品価格をどこに設定するかなど、市場や消費者のニーズを推測してから製造にとりかからなければなりません。コストを低く抑えるには量産せざるを得ないと同時に工賃を抑えなければなりません。手間を省けば製品としての品質は低下してきます。
 ところがメーカーが消費者のニーズや消費動向を捉え、新商品の制作企画に取り入れる場合、個々人の趣向やCase Aの婦人のような装いのニーズまで捉えることは不可能であります。また、たとえ捉えたとしてもそれを量産というメーカーの企画に組み込むことはできません。メーカーが捉えることができる消費者のニーズというものは、一般的で平均的なトレンド、どのデザインが飽きられて、どのように作れば新鮮に受け止められるか、という観測データです。

・・・つづく。

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LOGIC -論理- 

 

利潤を追求し、確保する為の商品を企画、制作するメーカーの理論はどのように展開されるでしょうか。
1:量産が可能な製品をつくる。
2:制作コストを抑えるように努める。
3:早く完売しようと努力する。

この結果どのような商品が市場に出回るでしょうか。
1:多量の同一製品。
2:並品質か粗悪な品物。
3:商品のディスカウント化。

そしてこれを買い求めた消費者に何が生ずるでしょうか。
1:没個性的商品で飽きる。
2:肌に馴染まず愛着が生じない。
3:ストーリーが貧しく自分を高めない。

  メーカーは当然のこと、良いものを安くというスタンスで製品を作り販売します。品質と価格の競争に打ち勝って、しかもその競争の中で企業利益をあげてはじめて企業の存続と発展があるのです。ところが宝飾企業の特異性は、扱う品物が一過性の消耗品ではないということです。ジュエリーは時間と空間を超えて愛用され存続するものであり、このことがジュエリーをジュエリーたらしめている本質です。
 時間と空間を凌駕しえないものはジュエリーとはいえません。単に耐久消費財をつくるメーカーと違って、商品の価値が消耗していかず、かえって価値や愛着が増していくものを作りだすのが宝飾メーカーの立たされている場所であるはずです。宝飾メーカーは気をゆるしてこの視座を見失うと、消耗品や耐久消費財をつくるメーカーと同じ企業理念に座ってしまいます。そこでできあがってくるジュエリーは単に日用雑貨の域を出ないものとなってしまいます。

・・・つづく。

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DILEMMA -板ばさみ-

 

 ジュエリーの本質とは何でしょうか。それはその所有者との間に結ばれている価値が時間と空間を超えているということです。宝飾メーカーはジュエリーのこの本質を確保したまま資本主義経済の競争原理を貫徹せざるをえません。つまり量産と固有性の確保、低コストと高品質の維持、低価格とハイイメージというメーカーの企業理論と自らが生み出すジュエリーの本質との板挟みにおかれます。
 宝飾メーカーはどのような場合でもこの矛盾と葛藤の中で生産活動に入らざるをえないでしょう。作りだしたものが消費者のニーズに合致するか、市場のトレンドに乗ればある期間企業利益に与ることができるが、外れれば自ら生産したものに足元をすくわれるか飲み込まれてしまうのです。

 ジュエリーの本質は時間と空間を超えたものであり、その特徴はそれが個人の身につける恒久的な愛用品であるということであります。したがってジュエリーとは必ず、当然の帰結として個人の所有物になること、しかも身体につけるという生活の中で最も身近な愛用品であることが特徴であります。

  この特徴はジュエリーというものが極めて個人的で私的な満足度や愛着度を価値としているということであり、そのような主観的な価値をそのジュエリーの持ち主が、将来においてさらに付与し、増殖していくという点でもあります。
 ジュエリーが単に外見的な装飾品ではなく、内面の存在を主張し表現している身体の延長、もしくは身体そのものだとすれば、これを商品として製品化するのに宝飾メーカーにはどのような構想力が必要でしょうか。この構想力がユーザーの内的な趣向、つまりユーザーのニーズまで達しているか否かが宝飾メーカーとして存立しうるか否かの剣が峰となります。

 安くて良いものを作り出すのはあらゆるメーカーの基本理念です。しかしこの定題は二律背反であります。コストを下げれば下げるほど質が高まることは無いわけです。高品質を目指せば目指すほど工賃などのコストを高めなければなりません。とくにジュエリーは既に見てきたように時間と空間を超えるものという作品としての品質を求められています。したがってこの二律背反の物づくりの世界で、宝飾メーカーは安くても質のいいものを作りだそうという葛藤の中において、物づくりをしなくてはなりません。このジュエリーとしての質を目指しながら、かつ低コストでジュエリーをつくり販売価格を定めなければならないという葛藤が宝飾メーカーの第1の視座でなければなりません。

・・・つづく。

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SUNDRIES -がらくた-

 

 さらにジュエリーはユーザーが自分の身体につけるものです。それは観賞用の置物ではありません。個人の身体に装うことにより、その存在を主張するものであります。その制作にあたっては義手をつくるほどの繊細さが必要であるともいえます。人間の身体構造とその動きを十分に把握しきれていないと人の身体にそぐわないもの、人の感性に馴染まないものを作ることになってしまいます。
 指は10本とも異なった表情を持っていて動きも違います。右の薬指と左の薬指では身体エネルギーの流れ方も異なります。それは身体の正中線に向かって対称的に流れるのです。

  このような細部の違いを無視して、両用のリングを制作していたのではハサミなどの日用雑貨以下であります。ハサミや包丁であっても左右は異なるのであるから、当然リングというジュエリーは初めから収まるべき指を指定していなければなりません。
 ジュエリーは身体の延長物で合って、第2の身体といえます。したがってメーカーはジュエリーをつくるのに第2の身体をつくるという気構えが求められます。この気構えを持つことが宝飾メーカーの第2の視座であります。

 以上のことから宝飾メーカーがジュエリーをつくるにあたって持たなければならない重要なことは、商品としてつくられたものが将来もその価値を持続してゆけるものでなければならないということです。時間の経過や使用頻度と共に価値が消えていったのでは日用雑貨と同じです。
 価値を失わず、むしろ増してゆくものがジュエリーであります。価値と価格は別物です。価格は消去し変動してゆくが、価値は持続し増してさえいくものであります。

・・・つづく。

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CAUSE -原因-

 

 商品の価値は素材の原価と制作費と営業利益です。商品がひとたびユーザーに買い求められ使用され、つぎに質屋や骨董屋に値踏みされる時には元の原価や営業利益は無視されて、その時点での素材の価値と作品としての価値をどのように評価するかということになります。
 品物の流通上の価値は素材の評価-宝石のグレード、地金の純度、市場価格-と、デザイナーや職人の技を評価したものです。したがって、ある特定のジュエリーの価値が持続するということは、その素材の価値評価と意匠や職人技術への評価が衰えないということです。

  宝飾メーカーが商品を作るにあたって心がけるべきことは、原材料の宝石や地金にどのようなデザインと制作技術を加えれば価値を持続し続けるジュエリーをつくりだせるかということであります。持続する価値を、制作しようとする商品の中に取り込むことが出来ないとしたら、宝飾メーカーは無用の長物を生産することになります。
 メーカーがジュエリーの本質とユーザーのジュエリーライフを了解してそれを商品作りにフィードバックしたときに、その商品は命を得たジュエリーとして世に羽ばたくことになります。以上のジュエリー作りの特色からメーカーの論理とその貧困さは何から生じてくるかまとめてみましょう。

1:価格の安さを追求することと、品質の良いものを作りだそうとするときの二律背反の葛藤が欠如していること。

2:商品の制作にあたって、単なる物品を作るのではなく、第2の身体をつくるという視座が欠けていること。

3:持続する価値、増殖する価値がジュエリーの本質であるという認識に欠けていること。

4:最終消費者であるユーザーのニーズを把握できず、手持ちの材料やメーカーの情報だけで商品を作ってしまうこと。

・・・つづく。

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STANCE -姿勢-

 

 メーカーが以上の負の要因を克服するためには、小売店側に自らの向きを修正するしかありません。小売店の声を汲み上げ、その情報に応えていく姿勢をつくることがメーカーの努めであります。
 小売店と密着した製品開発でなければ、メーカーの企画商品は益々エンドユーザーから遊離するでしょう。昨今頻繁に催されるメーカーの宝飾展示会はメーカーの新作発表会や在庫商品の処分市であるべきではないのです。それはメーカーが会社の総力で開発し制作した商品を小売業者の厳しい目で批評される場所でなければなりません。

  実際に使用するエンドユーザーのニーズを代弁する小売業者の批判を受けるところが宝飾展示会場なのです。エンドユーザーもブローカーも輸入業者も混在する国際宝飾展は日本の宝飾文化の発展にいかなる貢献ももたらさないし、かえって小売業務を弱体化させるといえます。そして当然そのような国際宝飾展は真の価値あるジュエリーを世におくり出そうとしている宝飾文化の担い手たちに無視されるでしょう。

・・・第13話につづく。

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