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著書【宝石の裏側 vol.11】

宝石の裏側-第11話- 【文化の貧困性と貧困な宝飾文化】 

文化の貧困性と貧困な宝飾文化

 

宝石の裏側-第11話- 【文化の貧困性と貧困な宝飾文化】

 

 文化の生成は人類の意図的な企画や社会的な要請で発生したり消滅するものではありません。それを享受しうる人間の内面的な要求が必然的に文化を発生させ、発展させるのです。
 服飾と宝飾文化についていえば、和装から洋装へ女性の服飾が移行するに伴って宝飾の需要そのものが高まってきました。つまり今日大量に出回っているジュエリー類はほとんど洋装用に使われるものなのです。

 したがって日本の服飾文化がヨーロッパを追従してきたのと同様に、日本の宝飾事情はそれ以上にヨーロッパのデザインや技法を習得せざるをえなかったのです。数百年にわたるヨーロッパの宝飾文化の歴史に比べ、日本の宝飾文化は和装小物を別にすれば、ここほんの50年が大衆への浸透期であるに過ぎません。享受されてきた宝飾文化の期間的な浅さは、日本の宝飾文化のひ弱さそのものであるといえます。

 それでもここ10年のデザインや技術には優れた進展がうかがえます。ワールドワイドで催されるジュエリーデザインコンテストや作品展などにおける入賞者の数は年を追うごとに増えています。制作技法や技術力もヨーロッパのそれに並ぶほどになりました。
 それにもかかわらず文化としての宝飾事情の貧困さは何に由来しているのでしょうか。ここで考えられうる諸相を挙げてみましょう。

・・・つづく。

宝石の裏側 -Vol.11-
ジュエリーリフォームデザインスタジオ やまやくらぶ

 

 

 


 

CASE A -出来事-

 

 40代後半の自営業の主婦。ダイヤモンドのリングを買い求め、代金の支払いは家族に知られたくないので、月毎に自分で届けに来たいと言う。ローン会社の分割払いは嫌いだとのことだ。

 ・・・つづく。

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CASE B -出来事-

 

 40歳くらいの建設会社に勤めている女性。サンゴのリングを持っているのでその色に合わせてイヤリングを作りたい。店頭に並んでいるものをあちこち見て回ったが、なかなか色の合うものがない。そこで色の合うものを見つけてくれということである。主人や姑には知られたくないので、自宅には電話をかけないようにとのこと。時期を見計らって自分の方から連絡したいと言う。

 ・・・つづく。

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CASE C -出来事-

 

 50歳をすぎた女性。ご主人さまより好きなリングを買うようにと、10万円渡されたそうで、1時間ほど悩んだ末にプラチナのエメラルドリングを買い求めた。代金は17万5000円であった。75,000円を自分のポケットマネーで足して、現金で支払った。帰り際に『主人にはこれが10万円だったと言えばいいわ』と言って出て行った。ご主人は1時間余り、外の駐車場の車で待っていた。

 ・・・つづく。

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CASE D -出来事-

 

 50歳に近い常連客。前回お買い上げ品の残金を支払いに来て、新入荷の18金製イヤリングをさらに買い求めた。はしゃぎながら『見るとだめよねぇ、また買ってしまったわ。主人には偽者だということにしておきましょう』と言って目くばせして出て行った。

 ・・・つづく。

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CASE E -出来事-

 

 40歳代の女性。18金のメレーダイヤが30個ほど入ったリングを買い求めたものの『自分がつけて行く場所には、派手すぎはしないか』とまよった末に決めた買い物であった。ある場所ではそのリングはちょうど良いが、仲間内の集まりでは派手すぎるということらしい。
 すると、隣に居合わせたお客が乗り出してきて『あら、私なんかそういう時はリングをひっくり返してしまうのよ。こうすれば甲丸の結婚リングにしか見えないのよ』と言った。

 ・・・つづく。

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HOW TO -買い方-

 

 秘密めいたところのある女性や、いくらか神秘性を持っている女性が、周りの人に魅力的に思え、興味をひくのは世界中どこでも同じです。女性たちが秘かに宝石箱をあけて、自分のジュエリーを手にしながら思い出にふけるのは実に女性としての特権と言ってよいでしょう。
 宝石やジュエリーはそれぞれの思い出をさまざまなストーリーとしてその中に秘めています。実際に、よい思い出やストーリーがその持ち主に力を与えるのです。
 ジュエリーとの最初の出会いは、それを求めたときから始まります。多くの場合、購入の時にそのジュエリーとの最初の出会いがあります。したがって買い方が豊かならそのジュエリーは豊かなストーリーを重ねていくであろうし、買い方が貧しければそのジュエリーはひよわな力しかもたらしません。ここで、豊か、とか貧しいというのは金額のことではないことは、承知のとおりです。

  豊かな買い方とはオープンで堂々と買うことです。貧しい買い方というのは、こそこそと秘かに買うという意味であります。ジュエリーを買い求めるには一定の、しかも余裕の金額が必要です。したがってさまざまな事情と訳があってそれを買い求めることになります。そのために買い物という行為を秘密にせざるを得ない場合も多くあります。すべてについてオープンにするわけにはいかないのが実状です。
 しかし可能な限りオープンにすれば、それだけ求めたジュエリーを堂々と日の目に当ててやることができます。気の遠くなるほど長い年月地殻の中にあって、やっと太陽の燦々と輝く地表にあらわれたのに、こそこそとされたのではその鉱石そのものが持っている波動のエネルギーとその鉱石の結晶がもたらす太陽光の反射のエネルギーを発生させることができません。しかも10年以上の熟練された職人がその完成度の高い技術によって柔らかい人の身体に合せ、単なる鉱物であったものを呼吸を交わす生き物のようにつくり上げたジュエリーであるから、これを堂々と装うことが出来ないほど悲しいことはありません。オープンに堂々と購入することが、ジュエリーの効果を後々までも持続させる第一の条件であります。

 一度所有されたジュエリーというものは、自分のオーナーに対して精一杯仕え、尽くそうとしているのです。ジュエリーが自分のオーナーを得ながら自分の本性を発揮できないほどもど悲しいものはありません。
 秘かに購入せざるを得ないさまざまな理由があるにせよ、それらを乗り越えてオープンな姿勢で買い求めることが、いかに大きな効果をもたらすことになるかを是非体験していただきたいものです。買い求めたジュエリーのその後のパワーは購入時のオープン度の程度と比例しているといってもよいでしょう。

・・・つづく。

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THE MALE -男性-

 

 日本におけるジュエリー購入の貧しさで、第2にあがるのが買い求めるさいにご婦人たちがとかく殿方を参加させないことでしょう。同様に殿方自身も参加しようと努めないことが日本の宝飾文化の貧しさの原因であるといえます。
 商品の完成度を見抜くことは、そこに施されている技術を見分けることです。この力は男性のほうが女性よりも優れているといえます。日本の婦人たちがジュエリーを選ぶさいに、男性を積極的に介入させることに成功すれば日本の宝飾文化は大きく進展するでしょう。殿方も物臭にならず、女性にとってジュエリーがいかに重大な内面的パワーを発生させるものであるかを認識すべきです。

 先にも述べたように文化はそれを享受する土壌があって息吹き、発展するのです。ジュエリー選びに男性が参加することによって、その意見はデザインや制作技術にフィードバックしていかされるでしょう。ユーザーのニーズが新製品を改良していくという当然のことがジュエリー制作の中におこってくるのです。

  いまのところ日本ではメーカーが商品企画をたてて、それを小売店に卸し、消費者がそれらの中から買い求めるというユーザーにとっては極めて消極的なジュエリーの選び方がほとんどであります。デザイナーズジュエリーもいくらかは発展してきていますが、それさえもデザイナーの個人的な趣向の世界にすぎず、宝飾文化を培う実際のユーザーからのフィードバックによって開発された作品ではありません。
 実際のユーザーからの強い要請、欲求、願望というニーズをつかんで、はじめて宝飾文化は発展するのです。この消費者のニーズに殿方の声が含まれることが求められています。そして宝飾文化というのは小売店がリードするものです。小売店が実際にジュエリーを使用するエンドユーザーのニーズを、創り出すジュエリーに反映させることが重要なのです。

 ユーザーのニーズと小売業者のアイデアをメーカーに向けて発信することによって、はじめてメーカーを動かし、文化として認められるようなジュエリーを生み出すことができるのです。このためには日本の殿方が女性のつけるジュエリーのもつ意味やその制作技術に関心をよせて、その男性的な批評や分析をユーザーの声として発信して欲しいのです。

・・・つづく。

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EXAMINATION A~E -考察- 

 

 ジュエリーを買い求めるさいの貧困性はまず第1に買う行為そのものをオープンにできないこと。また買った品物をオープンにすることに気兼ねや遠慮ばかりがあることでしょう。これではジュエリーそのものの本性が発揮されません。オープンであればあるほどジュエリーとその所有者の間には豊かな心理的交流が発生してくるものです。誰にもはばかることのない堂々としたジュエリーとオーナーとの関係が実際にパワーをもたらすのです。

  貧困性の第2は、男性の欠如であります。男性の不介入がいかにジュエリーの技術的完成度を育てられないかを認識すべきでしょう。男性の介入はジュエリーの技術的な向上に貢献するばかりでなく、デザインやコーディネートまで幅広く宝飾ニーズを広げていくものです。自分の奥方がどのようなジュエリーを持っていて、どのように使いこなし、どういう快感を感じているかを日本の殿方は知っているべきでしょう。そうすればどのようなところに使い勝手の不都合やトラブルが生じ、どうすれば解決するかというのもわかるでしょう。

 殿方には奥方のジュエリーショッピングにもっと関心を寄せて欲しいと同時に、ネックレスやブレスレットを婦人たちが装着するときには、その手を貸して手伝ってあげて欲しいのです。
 ネックレスやブレスレットの留め具というものは実際とても小さくてやりにくく、出がけに急いでいる時には特に婦人をイライラとさせるものです。殿方がこれに協力的になれば、殿方のジュエリーへの関心が高まるばかりか、そうすることによって夫婦円満、昨夜の喧嘩の仲直りにも貢献できるというものです。

・・・つづく。

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CHOOSY -良いこだわり-

 

 ジュエリーの買い方について、その貧困性の第3は、良いストーリーの欠如ということであります。ジュエリーの所有者と、そのジュエリーとの最初のストーリーはそれを求めるときの買い方のところで発生します。衝動買い、付き合いや義理買い、値引率に惑わされたり、キャッチ商法にまがいに乗せられたり、物臭の性分での通販利用では、良いこだわりを持ってジュエリー選びを成し遂げたことにはなりません。
 良いこだわりがなくては、良いストーリーを共有することはできません。良いこだわりとは前述のような負のイメージの買い方を避けることです。良いストーリーをつくり上げるには、買い求めようとする商品について確かな情報を得ることです。

 求める商品の内容について不審が残らないように、素材とデザインと制作技法について知りうる限りの説明を引き出すことです。それから価格の妥当性を了解することです。宝石の価格を判断することは大変難しいことですが、周囲のジュエリーで買い求めようとするものと同じ種類の物を参考にしたり、他の店のものと比較したり、価格について納得のいくような説明を受けるなどして買い求めるジュエリーの価格について、自分なりに理にかなった了解をすることです。

  品質や価格に不審が残ってしまうと、喉もとに刺さっているようで、その後のストーリーをさわやかに進めていくことができません。このように品質と価格を了解することが良いストーリーをつくり出すためのひとつ目の条件であります。
 良いストーリーをつくりだすための二つ目の条件は買い求める行為に、人生の意味付けを持たせることです。さまざまな記念日、人生の節目、新しい指針、お祝いや報奨、出発、門出、帰還、生還、愛情表現、契り、和解、会員としての証など、数多くの意味付けの中から何かひとつを付与して、買うという行為を決定することが良いストーリーや力のあるストーリーを生み出す条件であります。

 ジュエリーは一人の生涯を越えて数百年、環境によっては数千年も存在し続けます。この恒久性を持っているジュエリーは常にストーリーを生み出していくという本質を持っているのです。ストーリーを持ち続け、さらにストーリーを生み出すものがジュエリーであると言っても良いでしょう。さらに言い切るなら、良いストーリーを持っていないものや生み出さないものは優れたジュエリーでもないし、力のあるジュエリーでもないのです。それらは駄作の雑貨品にすぎません。言いかえれば負のイメージを持ったジュエリーを持ち続けることは、それを所有する人に何の力も与えないばかりか、マイナスに作用するのでむしろ持たないほうが良いとさえ言っても良いでしょう。
 自分の夫に内緒で購入したジュエリーが如何に日陰の存在になってしまうかは、時間が経つほどはっきりしてきます。また、堂々と購入したジュエリーを白日にさらせないようではジュエリーのパワーを十分に堪能することができません。

・・・つづく。

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CASE F -出来事-

 

 40歳代の自営業の主婦。ある宝石専門のチェーン店からその殿方宛にクレジットの確認電話がきたため、婦人は夫が愛人に宝石を買い与えたのを知ってしまった。その腹いせに自分も宝石を買うことにしたらしい。そこで25万円のルビーのリングを買い求め、御主人の口座から引き落とすように手続きして帰っていった。

・・・つづく。

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EXAMINATION F -考察-

 

 夫婦という関係は想像よりもずっと壮絶ですが、また同時にとてつもなく寛容でもあります。人がなぜ宝石を買い求めるかを推理、推測すれば枚挙に暇がありません。うさばらしや気分転換、腹いせ、あてつけをショッピングで紛らわすことが想像よりもはるかに多いことも事実です。

  いずれにせよ店頭に現れるご婦人方の買い物の衝動や動機は、一見単純に見えますが、極めて複雑怪奇なものです。これら複雑怪奇な動機がすべてジュエリーのストーリーとなるのです。良くも悪くもストーリーを生み出し、重ね続けるのがジュエリーというものです。
 ジュエリーの購入が堂々とせず姑息にすぎていること、男性の協力が欠如していること、良いストーリーで購入していないことなど、貧しいジュエリーの購入の仕方が宝飾文化の貧しさの起因になっているのであり、宝飾文化の発展を妨げているのであります。

・・・つづく。

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OCCASION -機会-

 

 10年前にニューヨークの宝石店を手伝いながら、真珠のネックレスの糸替え方を教えていたことがあります。そこには日本では経験したことのないほど多量のネックレスの糸替えや留め金具の交換修理が持ち込まれてきていました。真珠だけでなくトルコ石やサンゴ、ラピス、メノウなど実によく使いこなされた半貴石のネックレスが、汗とホコリとで変色した絹糸の結び目をさらけ出して大きなトレイに山積みされていました。
 それはまるで疲れてぐったりと休んでいる戦場の兵士のように、終息なき装いの戦いに再び赴く為の、一時の休息所のようにさえ思えました。

 真珠のネックレスのまるい真珠層の輝きはとけて剥げ落ち、真珠核がむき出しになり、珠と珠の間の結びコブが汗で汚れ、その汗が真珠の穴口を侵食して元々鋭く穿孔されていたはずの穴口を鈍型にしてしまっていました。

  そのときあらためて、こちらのご婦人たちは、これほどまでに頻繁にジュエリーを使いこなすものかと驚嘆したものです。真珠のネックレスを仕立てるのに欧米では全ての珠の間に結び目をいれますが、日本ではこれをいれない場合の方が多い。ひとつの理由は使用頻度の差の為かもしれません。使用頻度が高く、糸が切れた場合のことを想定すると、各珠ごとに結び目(ナット)を施すのが安全のために当然の仕立て方であります。

 日本の婦人たちが真珠のネックレスをつけるのは年に数回あるかないかです。冠婚葬祭、卒業式と入学式が日本の婦人にとっては一般的で常道的なジュエリー使用の機会であります。通常まったくジュエリーをつけず、関心も興味も生じてこないご婦人たちでさえ、慶弔時には申し合わせたように真珠のネックレスをつけてきます。

・・・つづく。

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CASE G -出来事-

 

 模造品の真珠風ネックレスを持参して、壊れた留め金具を交換するよう依頼された老婦人。『私にも本物の真珠をひとつ見立ててください』と注文されたので、いくつかの品物をご覧いただき、その中のひとつを求められた。

  その後、留め金具の重要性を一通り説明して、特徴のあるものをお勧めしたが、最終的に選んだ金具は大半のお客さまがそうであるように銀製の丸い花模様のものであった。『仏事の時にも使えるように、周りと同じような目立たないものが無難でしょう』というのがその理由である。

・・・つづく。

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EXAMINATION G -考察-

 

 日本におけるジュエリーの使われ方は、『よそさまと同じように』か『周りの人よりも目立たない』ということが一般的なユーザーに浸透している心理であるといってもよいでしょう。購入時や使用のさいに、やがて到来する会場の雰囲気を想像しながら、人よりも見劣りせず、しかも目立ちすぎることのないジュエリーをつけることは常識にかなっています。しかしながらここで混同されてはならないのは、つける本人が自分の独自性を主張しようとすることと、他人よりも目立とうとする意識とは、はっきりと区別されなくてはならないということです。

  自分のこだわりや趣向を表現しているジュエリーをつけることは、自分の名前が他人と違うことや、生きてきた人生の道のりが誰も皆異なっているのと同様に重要なことでなければなりません。独自性を表現しているジュエリーをつけようとすることは『他人よりも目立とう』という浅はかな外見上の見栄を動機にしているわけではないのです。
 『他人よりも目立たない』ようにするというジュエリー使用の美意識が日本の宝飾文化を貧困なものにとどめている原因のひとつであります。ジュエリーを持つ意味やつける楽しみは、自分の独自性がそのジュエリーに表現されているからこそ存在しているのです。そしてこの独自性こそが私的にストーリー化されてジュエリーパワーとなっていくのであります。

・・・つづく。

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CASE H -出来事-

 

 宝石店に勤めている50歳になる女性の話。『私の姉はスーパーマーケットやパチンコ店を経営していてお金には余裕がある。だから宝石展示会のたびにジュエリーの購入を勧めるが全く興味を示さない。』と言う。

  『買ってもつけて行く所が無いし、今までに買ったものもタンスの肥しになっている』とのことらしい。『宝石や洋服のおしゃれにお金を使おうとしないし、以前買った50万円以上したジュエリーも、姉がつけているのを見たことがない』とおっしゃっていた。

・・・つづく。

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EXAMINATION H -考察-

 

 日本の宝飾文化の貧困さはジュエリーをつける場所の貧困さに由来しているのかもしれません。洋服とそれにあわせた装飾品は元来ヨーロッパ文化が生み出したものであり、まさにヨーロッパ文化そのものなのです。しかし日本ではヨーロッパのライフスタイルに影響されて久しいにもかかわらず、ジュエリーを使いこなす場というものがなかなか出来あがりません。
 子供の入学や卒業式、冠婚葬祭では多くの女性がジュエリーを経験することですが、それは生活上の慣例ではありません。観劇や、食事会、パーティーに気軽に出かけるようになるには、お金があっても時間ときっかけが無くては実現しません。

  一般に商店主や自営業のおかみさんは、時間労働者のサラリーマンと違って、毎日がとても忙しい。それは仕事に終わりが無いからです。そんな人たちが、装い新たにお出かけするのは、断るに断れない付き合いか義理と情を欠かせない縁者の集まりでしょう。よって、Case Hの女性の姉が持っている自分のジュエリーへの関心度は、友人や知人が持っている程度か、それをいくらか上まわる程度のジュエリーを、一応自分も持っているという自己満足の所有にすぎません。

 同じようにジュエリーを持ったり、つけたりしているほとんどのオーナーが、『周りの友人が持っている程度のものは、自分も持っているし、持ちたいと思っています』という心理の域内にあります。つまり、このようなジュエリーへの関心度はジュエリーをどのようにつけたいかという、使用の場所へのイメージが欠如してしまっています。身につけるステージがイメージされなければ、ジュエリーへのデザイン的な関心も二次的なものとなり、金額だけが先行してしまいます。
 ただ単に所有するという関心度の範囲内ではデザインへの要求が起こりにくいのです。ジュエリーの種類や品質、価格に最大の関心があっても、デザインや制作技術への関心が高まりません。

・・・つづく。

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REQUEST -要望-

 

 ジュエリーの価格が、そのままイコール価値ではありません。ジュエリーの客観的な価値は主にはデザインと制作技術が大きな要素を占めます。したがって実際にジュエリーを使用するオーナーがそのデザインや技術に関心を示し、ニーズをおこしてこない限り、宝飾文化は貧困のままであり続けるといえます。
 ジュエリーをつける場が限られている日常生活の中では、実際に使用するさいに求められるデザイン要求や、制作上の要望が生じてこないので、いつまでも出来あいの既成品、メーカー本位の商品に消費者がつきあう、という消極的で隷属的なジュエリー選びから脱出できないのです。

  自分自身のライフスタイルがあり、自分自身のジュエリーステージを創出することが出来るとき、はじめて人は自分のジュエリーをイメージすることとなります。そのときにこそ人はジュエリーを自分の従者にできるのです。
 お金の余裕があるだけでは人はリッチになれません。金銭の余裕にくわえて、何事にも規制されない自由な時間と空間をいかに創り出せるかが人を実生活上豊かにするのです。宝飾文化はこのような条件があって最も発展し、展開されていくのであります。

・・・つづく。

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OBJECT -置物-

 

 ジュエリーは持ち物であると同時に使用するものです。それは単に置き物として眺めたり、コレクションとしての財貨である以前に、自分を表現する象徴物であるはずです。自分の身体につけることによって自分の存在の独自性をそのジュエリーによって主張しているのです。
 ジュエリーは人の身体に装われてはじめて呼吸を始めますから、使用する主人を失ってしまった時は死せる置き物にすぎません。使用されることを目的として制作され、購入されて所有されるものが真のジュエリーといえます。使用されないことを前提に所有されるジュエリーは投機財か収集家の趣向品であり、この書き物で展開しているパワーとしてのジュエリーの範囲外であります。

  所有しているだけでなかなか使う機会の無い商店主の奥方と、そのしまいこまれているジュエリーの有様は、そのまま日本の社会の宝飾文化の貧困さを表現しています。
 貧乏ひまなし、と昔から言いならされてきた言葉が今日では、富はあるけどひまがなし、という言葉によってそのまま日本の中間階級の奥方にあてはめられます。
 日本社会の構造上の貧困さと日常生活の中で自分の時間や空間を作り出せない日本人の生活倫理からくる貧困性。つまり働く者が尊ばれ、遊び人が蔑まされるという過去の徳目と、現代の巨大に拡大し続ける消費生活のはざ間で、一時も無為な時間を過ごすことができなくなっている現代日本人、特に50歳をこえた人の生活様態の貧困さが日本の宝飾文化の貧困さを作りだしているのかもしれません。

・・・つづく。

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CASE I -出来事-

 

 50歳をすぎたと思われる女性。昨年、ご主人のお母様が亡くなられて、サンゴのブローチを譲られたが留め金具が壊れているし、形も古臭いので何か別なものに作り直したいという相談である。

  『わたしは指が汚いし、節くれだっているのでリングは全然似合わない。もともと宝石なんか似合うタイプじゃないし、主人からも豚に真珠だと言われている。それでも壊れたままにしておくわけにはいかないし、何かに作っておかないと亡くなった母や親戚に申し訳ない気がするの。』

・・・つづく。

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CASE J -出来事- 

 

 30代の子連れ女性とその母親。店内にあるいくつかの商品を指にはめたり首につけてみたが、どれもしっくりと似合ってこない。つけた時に周りの人の共感や、感動が生じてこない。『まったくお母さんは何をつけても似合わないのよね』娘が何度も揶揄するので一層母親の気が乗らない。

  母親本人は着物が趣味で、着付けを指導していて和服に費やすお金は尋常ではなさそうである。『親戚に宝石屋が居るので一通りの宝石は持っているんですが、つけたことがないんですよ』とのことだ。

・・・つづく。

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EXAMINATION I~J -考察- 

 

 宝石やジュエリーを、持つには持ってはいるがつけたことがないというのは、日本の金持ちの特性のひとつといってよいでしょう。自分に似合うかどうかよりも、持っているかどうかが裕福さの社会的シンボルだとしたら、宝飾文化は育ちません。宝飾文化とはデザインと技術とその享受によって培われていくからです。
 Case IおよびJのように自分にはジュエリーが似合わないか、似合わないと思い込んでしまっている婦人が確かにいるものです。そして自分にはジュエリーが似合わないと決めてしまっている人や、ジュエリーなど自分には無縁だと断じている人に共通な点は、この種の人たちがジュエリーを外見的な装飾品だと考えていることです。

 このタイプの人たちは、ジュエリーが似合うかどうかは身体の問題だと考えていることです。ところがジュエリーが似合うかどうかは心身の事柄なのです。特に心象の事柄であります。その人の内面やキャラクターや指針を表現しようとすることが、あるジュエリーが似合うかどうかの転轍点であります。
 ジュエリーは置き物や鑑賞物であるよりもまず生きている身体につける造形物です。素材は天然であるがデザインと制作技術は人の熟練された技と知恵の結晶です。その技と知恵は人の活動する身体と感情豊かな心を引き付けるものでなくてはなりません。ただ単に身体に装着する外見的な製品はジュエリーではなく、宝飾的ではあっても実は雑貨品なのです。宝飾性を装った雑貨品にすぎません。それらは業の鍛錬と、制作者の知恵が結晶していないので僅かな年月で色褪せてしまうでしょう。

  身体に似合うか否かということよりも、自分の心象の表現として共鳴するものであるかどうかが、ジュエリーを自分の生活スタイルのシンボルのひとつとして認めるかどうかの出発点となります。自分の内面性の表現としてジュエリーが意味を持ち得なければ、その人にとってジュエリーは宝の持ち腐れであり、豚に真珠であります。自分の心象が自分の生き方の表現としてジュエリーを欲求しない限り、その人にとってジュエリーは無縁のものであり続けます。
 人がつけているジュエリーはそれが借り物でない限り、必ずその持ち主に対して意味を持っています。自分で購入した物であれ、譲り受けた物であれジュエリーはその持ち主との特別な、しかも極めて私的な関係を物語っています。その関係はそれぞれ、物語化されて持ち主に生きた意味を与え続けます。そしてこの生きた意味がジュエリーパワーなのであります。

 自分の節くれだった指も、またひいき目に見ても綺麗だとは思えないプロポーションも、とりあえず自分の生きてきた人生の証明であることには間違いありません。しかも自分の容姿がいかようであれ、そのほとんどは天や神の創造の結果です。これを蔑むことは天につばを吐くようなものであります。
 まずあるがままの自分のキャラクターを素直に認め、歩んできた自分の過去を慰安し、今の自分に愛着を感ずるような心にならないと、ジュエリーというもので自分の存在感を表現してみようなどという気分にはなれないものです。自分を尊ぶ心の余裕と金銭的な余裕が前提にあり、さらに自分の存在感を物に刻んだり、意味づけしたいと思うようになった時に初めて人はジュエリーというものを自分に引き寄せて考えるようになるのです。

・・・第12話につづく。

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